フォルトゥナ デュッセルドルフ 日本デスク
瀬田元吾(せたげんご)氏

渡独して1年半。「フォルトゥナのフロントスタッフになる」という新たな目標を持った僕は、いよいよ「ドイツ語を学ぶ」から「ドイツ語で学ぶ」必要性を感じ、ドイツ体育大学ケルン(DSHS:Deutsche Sporthochschule Köln) を目指すことにしました。

ドイツ体育大学ケルンを上空から; 出典: © DSHS Köln

ドイツで唯一にしてヨーロッパ最大の体育大学で、“欧州体育大学”(Europäische Sportuniversität)の名でも知られるDSHS は、研究分野数や 約 6000 人という学生数において世界最大のスポーツ専門大学です。

まずは入学を希望する外国人のためのドイツ語試験 DSH (Deutsche Sprachprüfung für den Hochschulzugang) に合格しなければならないので、語学学校に入り、週5 日間のインテンシブコースをみっちり受講。その甲斐あって、無事にDSH に合格し、2007 年8 月、ドイツ体育大学ケルンの大学院に入学しました。

出典: © DSHS

この年は、同大学がそれまで採用していたディプローム (Diplom) 制からバチェラー (Bachelor=学士)・マスター(Master=修士) 制に切り替わった年で、僕はその一期生にあたり、専攻できたのはその年に試験的にスタートした「高齢者スポーツ」というコースのみ。自分の目指す“スポーツマネジメント”とは違う分野でしたが、学生ビザが取得できるという魅力に加え、高齢化社会に備えてドイツが何をしようとしているのかにも関心があったので入学を決めました。

初めてのことばかりで充実した学生生活ではありましたが、目指す方向とのあまりの違いに、大学は1セメスター(半年)で休学。僕は心に決めていた通り、フォルトゥナのクラブ運営を担うフロントスタッフになるために直談判を始めました。

フォルトゥナ・デュッセルドルフのチームメンバー (2018年7月); 出典: © F95

2008 年当時は3 部リーグに所属し、地元の人々からも忘れかけられていたフォルトゥナ・デュッセルドルフ (Düsseldorfer Turn- und Sportverein Fortuna 1895 e.V.)。しかし、かつてはドイツ杯を連覇した歴史を持ち、5 万人規模のスタジアムも有するこの名門チームがこのまま埋もれていていいはずがない。名もない自分をセカンドチームでプレーさせてくれたことへ恩返しをしたいという思いに加え、僕はフォルトゥナ再建のために日本人だからこそできることがあると確信していました。

出典: © F95

というのも、フォルトゥナのホームタウン、デュッセルドルフには60 年以上前から多くの日系企業が進出し、今でも約400 社が拠点を置いています。その駐在員や家族を中心に市の人口の1%にあたる約7500人の日本人が住んでいて、ヨーロッパ最大の日本人コミュニティを形成しています。この存在を活かさない手はないと思っていたからです。

僕は、履歴書とともに日系企業のスポンサーや日本人選手の獲得、日本語ホームページの開設など、日本人コミュニティを巻き込んでのクラブ再建案を思いつく限り書いてフォルトゥナに送りました。でも、1ヶ月待っても返事がなく、2通目、3通目を出しても音沙汰がない。最終手段としてフォルトゥナの元会長、カールハインツ・マイヤー氏(Karl-Heinz Meyer)に相談に行ったところ、マイヤー氏は「フォルトゥナはこういう可能性を活かすべきだ」と広報部長との面接を取り付けて下さいました。その結果、まずは研修生という立場で何とかクラブに入ることができ、その後クラブ内での話し合いを何度も重ね、2008 年10 月、ついに日本デスクの設立が実現しました。

もともと存在しない部署ですから、仕事は一から自分で考案し、作り上げていくことになりました。クラブ会員の募集、日本語会報誌『フォルトゥナ通信』の発行、日本語ホームページの立ち上げ、日本人小学生に対するホーム試合の招待やアリーナ見学会など、在デュッセルドルフ日本人向けにありとあらゆることを考え、実行していきました。

フォルトゥナ・デュッセルドルフで活躍する宇佐美貴史選手と原口元気選手; 出典: © F95

さらに、フォルトゥナのチーム力を高めるため、スポンサーや日本人選手の獲得にも日本デスクとして奮闘しました。その結果、日立グループ (Hitachi Group)、トーヨータイヤヨーロッパ (Toyo Tires Europe)、旭化成ヨーロッパ (Asahi Kasei Europe GmbH) 、富士フイルム(FUJIFILM Europe GmbH)といった大手の日系企業がスポンサーとして支援してくださるようになりました。また、2017年から2018年にかけて宇佐美貴史選手、原口元気選手という優れた日本人選手たちをチームに迎えることもできました。

宇佐美貴史選手と富士フイルム欧州統括拠点FUJIFILM Europa GmbHの山本正人氏; 出典: © F95

今夏、彼らの活躍もあって、ついにフォルトゥナ・デュッセルドルフは一部リーグへの昇格を果たしました。優勝決定の翌日、市庁舎前広場で行われた昇格報告イベントには1 万5千人を超えるファンが集まり、「USAMI!」「HARAGUCHI!」とフォルトゥナを昇格へ導いた日本人選手二人へのコールが鳴り止みませんでした。

出典: © F95

できることを積み重ねて今年で10 年。「フォルトゥナのフロントスタッフとして、フォルトゥナと一緒に1 部に行く」と2006 年に自分が打ち立てた目標を達成し、今や日本デスクの存在がクラブから認められ、受け入れられていることは僕の何よりの誇りです。

出典: © F95

僕は渡独してからずっとデュッセルドルフに住んでいますが、生活する上でもデュッセルドルフの魅力の一つはやはり日本人コミュニティの存在です。渡独後2年間は「日本語で何でもできてしまう」このコミュニティの存在を、ドイツ語の習得を妨げるものとして敬遠してきたところがありますが、ドイツ語もできるようになり、結婚して子どもがいる今は、日本語で何でもできて、日本の食材も買える日本人コミュニティの存在は非常にありがたいです。

清潔感あふれるKIKAKUの店内; 出典: © Kikaku.de

中でも僕が個人的によく行くのは日本食レストランの老舗、KIKAKU。ランチとディナーとがあり、夜は大変混んでいますが日本人だけでなくドイツ人のお客さんも非常に多い人気店。以前、フォルトゥナのスポンサーとしてサポートして頂いたこともあり公私ともにお世話になっているお店です。

アルトビールの老舗店「シューマッハ」;出典: Wikipedia CC BY-SA 2.0

また、日本からの来客をご案内する機会も多いのですが、まずお連れするのは旧市街にあるシューマッハ(Brauerei Schumacher)。デュッセルドルフの地ビール「アルトビール(Altbier )」を最初に作った“元祖”と言われるお店で、1838 年の創業以来変わらない「古い」(Alt)製法で造られる琥珀色のビールに、ソーセージやシュニッツェル(Schnitzel)など代表的なドイツ料理のメニューが揃う老舗です。

出典: © SETAGS UG

フロントスタッフとしての仕事をする傍ら、2014 年にはデュッセルドルフで自分の会社も設立しましたが、仕事をしていて感じるのは、やはり物事の決め方における日独の違いです。ドイツの場合はまず「やろう!」と決めたら、具体的な内容を詰めて、それらを着実に進めていくのに対し、日本の場合、「非常に興味あります」と言われて、プレゼンや意見交換を行い、さんざん検討を重ねた後に却下になるなど、結論に至るまでに非常に長いディスカッションを要します。ある方がおっしゃったことですが、目標を設定してそこに向かって突き進むことができるのがドイツ人。目標を設定しても、途中途中で立ち止まり、また話し合いを始め、修正していくうちに、最初に目指していたものとは違う所にたどり着くのが日本人。僕もなるほど、と思いました。

2014年W杯で優勝したドイツナショナルチーム; 出典: Wikipedia CC BY 3.0

日本サッカー界とドイツサッカー界のあり方についても通じる部分があります。世界から「終わった」と思われていたドイツは、自国で優秀な選手を育てるための育成改革を10 年以上かけてコツコツと進め、2014 年のW 杯では優勝して世界的な評価を得ました。2018 年W 杯では予期せぬ敗退となりましたが、昨年のU21 欧州選手権優勝、コンフェデ杯(FIFA Confederations Cup)優勝など、ドイツサッカーの躍進は続いています。溢れんばかりのトップレベル選手たちの中からいかに結果を出せる代表チームを作り上げて、再び頂点を目指していくのか、今後もドイツサッカーから目が離せません。

一方で日本は、今回のW杯では予測を覆す素晴らしいパフォーマンスを見せましたが、10年前に掲げた「世界のトップ10 に入る」という目標に対して現在55位と、この10 年間でランキングをさらに落としています。原因の客観的検証と効果的かつ効率的な育成改革が求められており、ドイツが長年かけて確立した育成改革は、そのヒントになるのではないかと思います。

SAMURAI BLUE(サムライ・ブルー); 出典: © JFA

目標を明確に持って、そこから逆算して今やるべきことをやっていれば、途中で問題や障害にぶつかっても自信を持って乗り越えていける。ドイツのナショナルチームやフォルトゥナが10年以上かけて辿ってきたこの過程を、僕は図らずも並行して、肌で感じながら勉強させてもらいました。

長い歴史を持ち、サッカー強豪国であるドイツでさえ、幾度にわたって課題を克服してきた経緯があるのです。こういった、ドイツの現場にいるからこそ見えてくる有意義な情報を、これからもできるだけ偏りなく日本語にして伝え、日本のサッカー界やスポーツ界に風穴を開けていきたいと思っています。それと同時に、僕自身もまだまだ前を向いて新しい開拓をしつつ、「海外クラブのフロントで仕事をしたい」という後続たちにも自分の踏み締めてきた道をきちんと示していけるよう、これからももっと成長していきたいと思っています。

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瀬田元吾氏
1981年東京都生まれ。学習院中等科、高等科を経て筑波大学体育専門学群卒業。卒業後、群馬FCホリコシなどを経て2005年に渡独。選手としてプレー後、2008年よりフォルトゥナ・デュッセルドルフにフロント入りし、日本デスクを設立。日本人向けの「フォルトゥナ通信」の発行や、日系企業とのスポンサー契約、日本人選手サポートを手掛けている。2014年にはサッカーを中心としたスポーツ活動を通じて「日独の架け橋」となることを目標としたSETAGS UG/セタークス有限責任株式会社を設立。後にフォルトゥナ・デュッセルドルフの⽇本での代理店としての権利を取得。2015年からはU19デュッセルドルフ国際大会の日本デスクを担い、さらに2018年からはU19デュッセルドルフTOYO TIRE CUP大会のアドバイザーも担当。ドイツプロクラブで働く⽇本⼈スタッフの視点から講演、セミナー、サッカー解説、TV出演など、業務は多岐に渡る。2015年4⽉にはドイツの永住権を取得。著書に「ドイツサッカーを観に行こう」(三修社)、「頑張るときはいつも今」(双葉社)がある。

(Interview und Text von Naoko Okada)