2018年1月に全豪オープンで優勝し、同時に男性プレーヤーとして史上初のグランドスラム20勝目を達成したロジャー・フェデラー選手。さらに2月には世界ランキング1位を奪還。36歳で世界ランキング1位となるのは史上最年長だ。
今世紀最強、あるいは過去100年間で最強とも評されるフェデラー選手の知られざる10の事実をここで明かそう。
1.2カ国から記念切手が発行されている

1981年8月8日、スイスのバーゼルで生まれたフェデラー。2007年にスイスポストから、2010年にはオーストリアポストからも(!)、彼の特別記念切手が発行されている。ちなみにスイスの人物切手は偉大な功績を残した故人に限られ、存命中の人物が切手に描かれるのはフェデラーが初めて。
2.パスポートを2つ持っている
フェデラーの父・ローベルトはスイスのザンクト・ガレン州ベルネックの出身、母・リネットは南アフリカのケンプトン・パーク出身。ローベルトは1970年頃、南アフリカでリネットに出会い、二人は1973年に結婚。その後、スイスに移り住んだ。フェデラーはスイスと南アフリカの両国籍を持ち、この二つのルーツを誇りに思っている。
3.住まいはいつもバーゼル近く

フェデラーはビルスフェルデン(Birsfelden)、リーエン(Riehen)、ミュンヘンシュタイン(Münchenstein)といずれもバーゼル市内またはその近郊のバーゼル=ラント準州(Basel-Landschaft)で育った。現在の住まいもバーゼル=ラント準州のボットミンゲン(Bottmingen)。
4.名字がユニーク

彼の名字「フェデラー」はFeder、ドイツ語の「羽」に由来している。ancestry.comによると、この名前は従来、羽や羽根ペンを扱う商人や家具職人が使った職業姓とのこと。
これはとても珍しい名字で、forebears.co.ukによるとこの名字を名乗る人は世界で 3,409人しかおらず、うち423人がスイスに住み、706人がドイツに、937人がアメリカに住んでいると言う。
5.4ヶ国語を操る

フェデラーはスイスドイツ語、標準ドイツ語、英語、フランス語の4ヶ国語を流暢に話す。フェデラーの母は英語を使い、スイスドイツ語とドイツ語は彼が育った地域の言葉だ。フランス語は、彼が14歳の時にスイスのフランス語圏エキュブラン(Ecublens)にあるナショナルテニスセンター近くに移り住んでから習得した。
6.テニスを始めたのは結構遅い

彼が本格的にテニスを始めたのは8歳の時。彼の両親は二人とも熱心なテニス選手でフェデラーが幼い頃から試合に連れて行ってはいたが、幼い頃のフェデラーはサッカー少年で、周りもサッカー選手になるものと思っていたほど。12歳の時、テニスに専念するためにサッカーを辞めたが、今でもサッカー好きで地元チーム FCバーゼルの大ファン。
7.兵役を免除されている

フランスの新聞Le Matin紙によれば、フェデラーはスイスでは強制である兵役を免除されている。スイスでは兵役不適合と見なされた者は10年に渡り、自身の所得税率に3%上乗せした税金を支払わなくてはならない。フェデラーも例外ではなかった。ちなみにフェデラーが兵役免除になったのは彼が特別な存在であるからではなく、「腰痛」が原因だとか!
8. 身長は185cm

テニス選手は背が高すぎると迅速に動けない。が、パワフルなサーブを打つためにある程度は身長がないといけない。ラファエル・ナダル選手は185cm、ノバック・ジョコビッチ選手は188cm。元チャンピオンのボリス・ベッカー選手は190cm、アンドレ・アガシ選手は180cmだった。
9. 双子2組の親である!
フェデラーは、テニスのスイス代表選手であった「ミルカ」ことミロスラヴァ・ヴァヴリネックと2009年に結婚。二人の間には同年に双子の女の子が、2014年には双子の男の子が生まれている。4人の幼い子供を持ちながら世界トップの実力を維持するのは並大抵のことではないが、フェデラーはそれを成し遂げている。マネージャーも務めるミルカと4人の子供達はフェデラーを支える必要不可欠な存在だ。
10. ヴァイオリンは弾けないが・・・
これはスイスで毎年行われるルツェルン音楽祭のコマーシャル。ご覧のとおりヴァイオリンには馴染みがなさそうなフェデラーだが、ピアノは幼い頃から弾いていて、フルートでは音楽祭にも出演するなど音楽愛好家でもある。
テニス界の「生ける伝説」となったロジャー・フェデラー。コート内外での活躍がこれからも見逃せない。
参照:上記情報の一部は以下の書籍を参考にしています。
”The Roger Federer Story: Quest for Perfection”