「なくなった国」東ドイツの言葉。DDRは、いまも言葉の中に生きている! (中編)

故郷を離れて、一番懐かしく思うのは、やはり「食」ではないでしょうか。東ドイツという国はなくなってしまったけれど、あの味が忘れられない…。

ベルリンの壁が崩壊して四半世紀以上経った今でもベルリンをはじめ、東ドイツの味をうたうレストランがちらほらあり、DDR料理本や、サイトなども充実しているのは、その辺に理由があるのかもしれません。

今回は、東ドイツにしかない食べ物や、料理の名前に注目してみたいと思います!伝説のアレ、、、も登場しますよ〜。「旧東ドイツ(DDR)のドイツ語」(中編)です!

☆Sättigungsbeilage(東)Beilage(西)>(お腹を満たすための)付け合わせ
出典: 河内秀子

この言葉を初めて聞いた時「ずいぶんと身も蓋もない表現だなぁ」と、印象に残ったのですが、最近まで東ドイツの言葉だとは知りませんでした。

満腹になるのはいいことですが、「腹を満たすための付け合わせ」という言い回しには(味はともかく)食欲が満たされればいいという、投げやり感が漂っています。この場合の付け合わせはサラダとかではなく、ジャガイモ・麺類・米などの主食にあたります。

☆Broiler (東)Hähnchen(西)> 鶏肉

出典: 河内秀子

日本語でも、昔は鶏肉を「ブロイラー」と言っていた気がしますが、調べてみると品種の一つなのですね。短期間に大きく育ち、かつ大量飼育ができるようにアメリカで改良された「ブロイラー種」。DDR時代、鶏肉を表すのに使われていた単語はブロイラーでした。

レシピ本でも、鶏肉(HähnchenやHühnerfleisch)ではなく「ブロイラー」と書いてあるものも。また旧東ドイツの一部の地方では「ブロイラー」といえば鶏の丸焼きを指すこともあるようです。鶏の丸焼きを酒の肴としてお酒が飲める「ブロイラーバー」というのも人気だったとか。(今もあります)

出典: 河内秀子

こんがり黄金色に焼きあがった、鶏モモ肉。パリパリの皮とジューシーな肉の味わい……。上の写真は西側のベルリンにある有名店ですが、この美味しさや、ご馳走感は、西も東もきっと同じだったと思います!

☆Jägerschnitzel(東)Jägerschnitzel(西)> イェーガーシュニッツェル・狩人のカツレツ

出典: 河内秀子

アレ?これ、東ドイツも西ドイツも同じ言葉じゃない?と思った方、そうなのです。これは、言葉は同じなのに、東と西で出てくるモノが違うという料理。

東ドイツ版の「イェーガーシュニッツェル」は、分厚いハムカツにトマトソース。西ドイツ版の「イェーガーシュニッツェル」は、豚か牛肉のカツにキノコのクリームソース。どちらも美味しいです!

☆Ketwurst(東)Hotdog(西)>ホットドッグ

出典: 河内秀子

DDR時代、ホットドッグ=ケットヴルスト(Ketwurst) 、ピザ=クルスタ(Krusta)、ハンバーガー=グリレッタ(Grilletta)という、前編にも書いたように西側諸国的な(つまり、アメリカ的な?)言葉を、東ドイツ風に言い換えた「代用東ドイツ語」が使われていました。

出典: 河内秀子

写真は、80年代の東部ドイツの大学都市、イルメナウの街のグリレッタ・スタンド。さすがに「ハンバーガー」とは書けないですものね。

とはいえ、当時の東ドイツで外国料理が全く存在しなかったわけではありません。80年代に発行されていた外国の料理本シリーズのラインナップを見ると、まずはチェコ、ソ連、中国、インド、メキシコ、オーストリア、、、そして日本料理も!「日本料飲」?!

出典: 河内秀子

「Sushi in Suhl」(ズールの寿司)という映画のモデルにもなった、有名(かつDDR唯一の)日本食レストランWaffenschmiedのオーナーコックのRolf Anschützが監修しています。

Waffenschmiedは銭湯が併設されていて、まずは男女混浴でお風呂に浸かって日本酒を飲み、浴衣を羽織ってからレストランの食事をいただく、、というファンタスティックな店で、1966〜86年の20年間存在しました。25万人の来店客の中には、1万6千人もの日本人客もいたとか。ここで実際お食事をした方に話を聞いてみたい!

出典: 河内秀子

簡単には日本から食材も情報も手に入らないなか、頭をひねりながら編み出したオリジナリティー溢れる“和食”がとっても面白い料理本。たけのこの水煮缶がやたらと出てくるのは、輸出入のレパートリーが限られていたDDRらしいですね。

「淡雪かん」が「デザート」と訳されていたり、「ミカ・フロート」が「いちごアイスフルーツ添え」などという謎の誤訳も。その言葉に行き着くまでの道のりが感じられて面白いんですが、話が長くなるので、またいつか。

☆Würzfleisch  / Ragout fin (東)>ヴュルツフライシュ・お肉の煮込み
出典: 河内秀子

いまも旧東ドイツ側のレストランでよく見かけるメニューの一つ、ヴュルツフライシュ。細切りの鶏肉(牛肉や豚肉もあり)をホワイトソースのようなもので和え、グラタンみたいにチーズをのせて焼きます。最後はちょっぴりドレスデン風ウスターソースをかけて♡

大抵ココット入りでトーストを添えて提供されますが、上の写真のヴュルツフライシュは珍しくもパンにサンドしたバージョンで、ドレスデンのパン屋で食べました。

出典: 河内秀子

ベルリンではRagout fin と書かれたパイ入りのものもあります(最近、スーパーで缶詰も発見!)冬、ちょっと小腹が空いた時に嬉しい前菜メニューです。しかし、この料理はなぜフランス語なんでしょう?

出典: 河内秀子

ほかに、東ドイツ時代からあったフランス語の料理というと、Steak au fourがあります。細切り肉とホワイトソースを和えたヴュルツフライシュのベースの部分を、一枚肉の上にのせ、上から肉が見えなくなるほどチーズをたっぷりかけて焼き上げたものです。ボリュームもカロリーも満点の料理です!

☆Tote Oma / Topfwurst >トーテ・オマ
出典: 河内秀子

そして、DDRごはん、堂々のトリを飾るのはトーテ・オマ!「死んだおばあちゃん」という恐ろしい名前の料理です。DDR時代の「伝説の給食」でもあったとか……。

つぶつぶした穀物入りのBlutwurst(血入りソーセージ)を焼き、それをほぐしてマッシュポテトとまぜて食べます。独特の血の風味があるこの料理、味も見た目も、そしてその名前も含めて、子どもにはちょっとキツイ料理だったかも。。。

西ドイツ側のレストランでは、このメニュー、見かけたことはありませんが、材料だけ見ると、ケルン名物「Himmel un Äd 」(天国と地獄)と似ています。こちらはリンゴと揚げ玉ねぎが味のアクセントで、ケルシュビールによく合います!

言葉もそうですが、どんなものを食べて育ってきたのか − 食は人間を形作る重要なモノのひとつであり、記憶と強く結びついているもの。東ドイツの食べ物を見ていくと、東ドイツという国やそこに住んでいた人たちの暮らしが、垣間見えてくるよう。

出典: 河内秀子

まだまだDDR料理、DDRのお菓子(上の写真は「カルター・フント 冷たい犬」という定番のおやつ)など、いっぱいご紹介したいものがあるのですが、今回はこの辺で!

一緒にDDR東ドイツデザインのFacebookサイトを運営している、イスクラさんが、DDRを始め、ポーランドやハンガリー、ロシアなどの美味しそうな社会主義メニューを再現&紹介してくれています!「#社会主義食堂メニュー」を、ぜひ検索してみてくださいね♪

執筆者:河内秀子
東京都出身。2000年からベルリン在住。ベルリン美術大学在学中からライターとして活動。雑誌『Pen』や『料理通信』『ミセス』、『Young Germany』『Think the Earth』などでもベルリンやドイツの情報を発信させて頂いています。
Twitterで『#一日一独』ドイツの風景をほぼ毎日アップしています。いまの興味は『#何故ドイツではケーキにフォークを横刺しにするのか問題』。美味しくてフォークを刺してあるケーキを探し歩く毎日です。HPもご覧ください。