私のドイツ人の夫は、とてもまめまめしい。

料理に掃除、洗濯、ちょっとした修理や庭仕事とできない家事はないし、かといって、「ありがたやありがたや」なんて拝んでも、「何が?」と当惑。私がなにに感謝しているのか、いまいちピンときてすらいない様子なのです。ああ、ありがたや。

出典: flickr/Beate Knappe CC BY-NC 2.0

サラリーマンだった私の父は家のことは見事になにもしない人で、炊事洗濯はもちろん、金槌を握ったり、屋根の雪下ろしをしたりする力仕事もすべて専業主婦である母の仕事でした。父が休日に素麺でもゆでたり、ゴミ出しをしようものなら、「今日は家のことを手伝ってやった!」と“ドヤ顔”。私はそれをごく普通のことだと思って育ったのです。

なので、夫と出会い、掃除の行き届いた部屋で「君は座ってて」と、ふわふわのフォームドミルクが乗ったコーヒーや、手作りケーキや夕食でもてなしてくれたときには「ドヒャー!!!」と仰天。

その後結婚することになってからも、私の実家に寄ったときには、接触の悪い電灯をあっという間に直したり、朝ごはんにパンケーキを焼いたりする夫を見て、今度は母が「ドヒャー!!!」。「アンタ……いい人見つけたのねえ」としみじみ肩を抱かれたのでした。

出典: flickr/Sumit Kumar CC BY-NC 2.0

ドイツ人のことをよく知らなかった当初は、父親をはやくに亡くした彼特有のものだろうと思っていたのですが、こちらに住み始めてから、どうやらそうでもないらしい、ということに気が付きました。

ホームパーティーをすれば、お手製のケーキを携えてやってきて、女性たちがおしゃべりに興じる後ろで、さっさとキッチンの片づけをする男性陣。「子どもが風邪をひいたから」と、ひとりでやってくるママの姿も(パパは家で看病だそうです)。そして週末になれば、買い物やDIYに精を出し……。

イタリアにまつわるすぐれたエッセーを多く遺した須賀敦子さんが、とある作品のなかで「ドイツ人たちは、イタリアの男たちにくらべて、家のなかではずっと役にたつ。」と書いていて思わず噴き出したことがありますが、そう、まさにドイツには「家のなかで役に立つ」という風情の男性たちが多いように思うのです。

出典: flickr/Maik Meid CC BY-SA 2.0

ただし、ここドイツにおいても「夫は家のことはまったくなにもしない!」という声を聞くことも、あるにはあります。

そんなとき、私はううむ、と考えます。家のことをまったくしない男性は、「外」では精力的にがんばっているんじゃないかしら? わが父親も、かつてはものすごい激務で、帰りが日付をまたぐこともよくあり、土日は疲れ切ってひたすら眠るだけ。とても家事どころではなかったとも言えます。片や夫は、もちろん真面目に働いていますが、どちらかというと“ワークライフバランス”派。仕事に情熱を傾けるタイプではありません。

ドイツには、「仕事」か「家庭」、どちらにどれくらい力を注ぎたいかを選ぶ余地が比較的あり、その結果、家庭のこともきちんとやる男性も多くいる。というだけなのではないかと思うのです。

出典: © Fotolia

人にはキャパシティというものがあります。大変な仕事に就いていれば、家のことがおろそかになるのは当然ですし、その逆もしかり(私も日本で編集者をしていたころは、料理なんて月に1回もできませんでした)。結局、「ドイツ人男性は家事をする!」のではなく、「家事に時間を割ける余暇がある」というだけのことなのではないでしょうか。

(仕事も家事もどっちもやらない、という男性はちょっと問題なので、一緒になる相手としては一考が必要かもしれません。念のため。翻ってそれは、もちろん女性にも言えることですが)

日本でも、少しずつではありますが、長時間労働が見直され、共働きの妻と家事や育児を自然に分担する男性たちが増えてきているように思います。彼らがドイツ人のように、ケーキならぬ、小豆を炊く日も近い……?

溝口シュテルツ真帆

編集者、エッセイスト。2014年よりミュンヘン在住。自著に『ドイツ夫は牛丼屋の夢を見る』(講談社)。アンソロジー『うっとり、チョコレート』(河出書房新社)が好評発売中。『Huffington Post』『YOUNG GERMANY』にサンティアゴ巡礼記連載中。日独間の翻訳出版エージェント業にも携わる。twitterアカウントはこちら→@MMizoguchiStelz