自分の名のついたブランドと決別したり出戻ったり。紆余曲折しながらも、機能的に美しく、着る人を自由にする服を作り続けたデザイナー
ドイツ北部出身のジル・サンダー(Jil Sander)は、テキスタイル・エンジニアで、ニューヨークの出版社で活躍した女性誌のファッション・ジャーナリストでもある。現在72歳。彼女の名を冠したブランド「ジル・サンダー」は、無駄のない形と上質な素材で世界中の働く女性に支持されている。
パリの「ジル・サンダー」の広告
ジル・サンダーのファッションの特徴は、体にフィットする緻密なカッティングと高品質の素材だ。色は、黒、白、茶色、紺にベージュを基調とし、パンツスーツやすっきりとしたトレンチコート、シンプルな白いブラウスなどがブランドの顔。余分なものを足さず、シルエットと素材で魅せるデザインから「クイーン・オブ・レス(Queen of Less)」と呼ばれる。
「ジル・サンダー」ファッションショー春/夏 2016
ジル・サンダーは、彼女の美学はバウハウスの伝統に基づいているという。そのファッションは、考え抜かれたカッティングによって、着る人に動く自由とダイナミズムを与える。
多くのアイテムを重ねて着る「たまねぎルック」も、ジル・サンダーが生み出した。
創業は1967年。ハンブルグでファッションブティックをオープンしたことに始まる。1973年には最初の「ジル・サンダー」コレクションを発表した。
ハンブルグにある「ジル・サンダー」の店

1987年ミラノコレクションに参加し脚光を浴びた。
1987年ミラノコレクション
1980年代初頭、「ジル・サンダー」の登場は、「ディオール」の「ニュールック」への反発のようだった。ふんわりとしたワンピースやスカートなど、生地をふんだんに使った華やかでフェミニンなファッションに別れを告げ、機能的な男性の服からインスパイアされた、エレガントな女性のファッションは、ドイツのキャリアウーマン達の心を掴んだ。
若い頃のジル・サンダー
ジル・サンダーは、働く女性の理想のファッションを完璧に具体化し、彼女自身がさっそうと着こなした。デザイナー自らが、自身の服のモデルとなることはそれまでないことだった。
90年代の女性の更なる社会進出と共に成功を収めた「ジル・サンダー」は、1997年にメンズコレクションを発表する。
その後、1999年に「プラダ」が「ジル・サンダー」の75%の株を保有すると、2000年には ジル・サンダーが最初の辞任をする。2003年再び経営に復帰するも、2004年に再び辞任。2008年に今度は日本の「オンワードホールディングス」に買収され、2012年クリエイティブ・ディレクターとして社に復帰するのだが、2013年には再び退任している。
「ジル・サンダー」社を離れていた2009年から2011年の間、一人のデザイナー、ジル・サンダーとして、「ユニクロ」とコラボし、「+J」コレクションを展開した。
ジル・サンダーと、「ファーストリテイリング」社長の柳井正氏
「ユニクロ」との最初の製品は男性用の白いシャツ

ジル・サンダーらしい無駄のないカッティングで、動きやすく、シルエットも美しいシャツが、お手頃価格で手に入るとあって、ファッションのプロ達もまとめ買いしたという。
2012年にジル・サンダーが「ジル・サンダー」に復帰すると、「+J」コレクションも停止していたが、彼女が再び社を離れると、「+J」も復活した。
自身の名をブランド名とする「ジル・サンダー」と、ジル・サンダー本人との関係は、世界のファッション業界を巻き込んで、ややこしいものとなってしまったが、プライベートでは、良きパートナーに恵まれ長い間連れ添った。
Morgen in #BamS: Mode-Designerin Jil Sander zieht sich zurück – ihre Freundin Dickie Mommsen ist schwer erkrankt pic.twitter.com/RX8QzoPy5x
— Alexander Blum (@boulevard_blum) 22. Dezember 2013
ジル・サンダーはレズビアンで、Angelica (“Dickie”) Mommsenというパートナーと、30年間共に人生を歩んだ。二人はシュレースヴィヒ=ホルシュタイン州(Schleswig-Holstein)で暮らしていたが、2014年にAngelicaは亡くなった。Angelicaには3人の息子がいた。